戸田 康夫
戸田社長の歴史
キアーロオーナーの戸田康夫です。
私は1973年2月生まれ、現在48歳です。磐田市で生まれ育ちました。
祖父の代から理容業を営んでおります。
中学生のころ、父の跡を継ぎ理容師を志すことにしました。
この「志すことにした」という微妙な言いまわしが絶妙な私の心理です。
勉強嫌いだった私は勉強しないで大人から褒めてもらえる禁断の決断をしてしまいました。
それが「三代目」です。家業を継いで理容師なると言えば周りの大人は「偉いね」と言い、
両親は「高校を卒業すればいい」と何も言わなくなりました。
将来、商いを目指すことになった私は簿記を学習したほうがいいと思い、
自宅から最も近い地元の商業高校に入学、とっても楽しく有意義な3年間を過ごしました。
卒業後、東貝塚の理容と美容の両方ができるユニセックスサロン
「ジャンディアンドアブニール」に入社しました。あまり知られていませんが、
「理容師」と「美容師」は国家資格も、保健所の登録も別々です。
理美容業界においては、
近年シニア世代がご夫婦でユニセックスサロン(「理容師の夫」と「美容師の妻」等)を
経営されるケースが結構あります。師匠である河合則克社長から技術はもちろん経営、
人間関係など理美容師として、社会人としてのあるべき姿、理念などあらゆる事を学びました。
そして2001年28歳の時に磐田市新島、南部中学校前に「ヘアードレッシングキアーロ」をオープンしました。
理容美容両方の登録をしたお店です。私の場合、妻は美容師ではなく、私が理美容両方のライセンスを取得しています。
理容登録店なので男女のお顔剃りができ、看板メニューです。
女性のお顔剃りのお客様にはお手入れとして、
クレンジング⇒洗顔(顔剃り)⇒ローション⇒美容液⇒クリーム・乳液を、お肌の悩みに合わせたケアをしております。
ファンデーションのノリがよくなる為、プチエステ感覚でされる方も多くいます。
オープンはアシスタント4名でスタートしました。
業界用語でカットができるようになると「スタイリスト」と言い、一人前の美容師です。
当時カットができるのは私一人、早急に4名をスタイリストにと技術教育に力を入れました。
4名のうち3名は退社しましたが現在も美容師を続けています。1名はママさん美容師として弊社に勤務しています。
10年後にはスタッフ10名になりました。このころになると美容業界でも労務管理の是正がささやかれ始めました。
それまで美容業界に労働基準法は適用されていませんでした(笑)。
職人だから関係ないという超ブラックの業界。
弊社は業界では先駆けて社保加入、週休二日、育休取得など「一般企業並みの労働環境」を目標に取り組みました。
皆さんは驚くと思いますが昼休憩は皆無なこの業界。
最低でも30分は座って昼食休憩をとれることに、中途入社の社員は感動してくれます。
一昔前は、女性美容師は結婚を機に退職するのが一般的でした。
私は「結婚、出産しても働き続けられる美容室」を目指しました。
現在、スタッフ12名中既婚者9名、うち8名がママさん美容師です。
保育園に子供を預けられないスタッフの為、託児施設を設置。
また既婚者の時短勤務に配慮し、閉店後の清掃専門アルバイトを採用しました。
夕方1時間程度のアルバイトですが現在欠員中で、絶賛募集中です。
美容師は人気の職業と思われがちですが、少子化も影響し年々美容学生が減少しています。
サービス業は労働時間も長く、一人前になるには努力と時間を要することも敬遠される理由かと考えられます。
しかし、この職業には定年がなく生涯現役も可能です。
現実に祖父は80歳まで、父も現在75歳ですが現役バリバリです。
先日父がケガをして2週間休業しました。
お客様から「戸田さんがやってないと困る」とのお声をたくさんいただきました。
後期高齢者でも必要とされる技術、仕事は素晴らしいと改めて感じています。
私も生涯美容師を目指します。